南礀中題

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フラバルの『剃髪式』刊行に寄せて

フラバルを嫌うというのを聞くと、そう言う人が本の中に自分の人生を全く変えてしまう魔法の杖を求めているとしか僕には思えない。もちろん、『ハリーポッター』を読んだところで朝起きても枕元に魔法のステッキはないどころか、そもそもフクロウはこの国じゃそこら辺をひゅんひゅん飛んでいるものでもない。フラバルを読むことはもっと大切なことだ。なぜならそこには人生だと僕らが考えるようなものがあるからだ。僕にとってフラバルはそういう人だし、もっと多くの人が読むべきだと結構本気で思ってる。
 
そんなフラバルの新刊が出たわけだけど、これを機会に多くの人に読んでほしいのでまずはフラバルってどんな人なのかを紹介したい。
 
ボフミル・フラバル(Bohumil Hrabal 1914-1997)はチェコの作家だ。なぜか不思議とみんな『存在の耐えられない軽さ』とかで知っているミラン・クンデラ、全然知られていない東欧ジャズ文学者(?)ヨゼフ・シュクヴォレツキー(『二つの伝説』を読むといい)と共に、二十世紀後半のチェコ文学の三羽烏と目されている。モラヴィア地方の町ブリュノに生まれ、プラハ・カレル大学で法学を修めたのち、様々な仕事をしながら創作を続けた。母マリエはオーストリア・ハンガリー帝国で生まれた。父については、育ての親と生みの親が違うとされているが、決定的な証拠はない。マリエはブルノで簿記係の助手をし、居酒屋で働くことで収入を得ていた。母はそこでフラバルの父となるソフトドリンクの問屋フランティシェクと出会った。
 
健やかに育ったフラバル少年は、1920年には小学校、25年には中学校に入学。同校の後輩にはあのミラン・クンデラがいるそうだ。紆余曲折の末に大学に進学したものの、ナチスの支配の間は閉鎖されるという憂き目に遭う。そうして戦中は線路整備士として勤めていたが、大怪我をしてからリベンの紙の圧縮をする仕事に就いた。やっとこさナチスから解放された後、48年に「失われた細道」(もちろん未邦訳)を書く。
 
彼のキャリアはだいたいこんなところだ。英語版のWikipediaに全部書いてある。
 
さて、このチェコ文学三羽烏の一人フラバルの何を初心者は読むべきか。ぶっちゃけ、今までに翻訳されてる三冊『あまりにも騒がしい孤独』(松籟社)・『厳重に監視された列車』(松籟社)・『わたしは英国王に給仕した』(河出書房新社)はどれも素晴らしいので何を読むべきかという問いには「全部だよ」と言いたくなる。どうしてこんなに彼は素晴らしいのか。
 
まず、フラバルというのは嘘をつかない。だいたい本当の話を集めて、それを引き延ばしたり、付け足したり、差し引いたりして作っている。例えば、フラバルの作品に出てくる人物みんなはとても魅力的に見える。性格や行為を箇条書きにするととてもつまらない人物も、彼が描くとなぜってくらい素敵に見える。それはたぶん魅力的に感じる人間をうまく捉えて、それを表現する能力があるのはもちろんのこと、その人が出てくる舞台装置もそれを支えるように書かれているからだ。具体的な作品で言えば、『あまりにも騒がしい孤独』。これの主人公なんて古紙プレスをビールを飲みながらやっているようなやつだけど、フラバルもまた古紙プレスの職業に就いていたことがあるらしいから、本当のことがだいぶ描かれていたとしてもあんまり驚かない。作品に出てくるような女性と付き合っていたかしらないが、古紙プレスの仕事の延長から行われる彼の動作のリアリティと他の非現実的と思える描写の親和性の高さには遠い国の昔の話なのにも関わらず、なぜか自分にとって本当のことなんじゃないかと思えることもある。だから、フラバルは読んでいて楽しい。愉快で不思議で、ちょっとぞっとする。
 
そんなフラバルの作品で今回訳されることとなった1976年に刊行されたPostřižinyなわけだけど、内容紹介には「ボヘミア地方ヌィンブルクのビール醸造所を舞台に、建国間もないチェコスロヴァキアの「新しい」生活を、一読したら忘れられない魅力的な登場人物たちに託していきいきと描き出す。「ビール醸造所で育った」作家が自身の母親を語り手に設定して書き上げた意欲作」とか書いてあるし、また嘘みたいな現実を期待できそうだ。