南礀中題

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Il faut marcher bien au cimetière(ジャッキー・デリダ1930-2004と墓参り)

ジャック・デリダJacques Derridaの墓参りをしようと思ったのは2013年の夏の休暇の頃である。そういえば2014年に没後10年経ち世代が一つ変わるではないかと思ったわけだ。そんなわけでこつこつパリ周遊費を稼ぎ、行ってきた。

Gaîté駅近くの三等ホテルに三泊することになった僕は彼の命日である10月8日にMontparnasse–Bienvenüe駅で4番線に乗り換えてRER D線が通るChâtlet–Les Halles駅に向かった。人伝にRER線の治安の悪さを聞いていたが、朝の八時に郊外に行くのは大学生か郊外に会社のある社会人だけだったので掏摸に怯えることもなく僕は車窓を眺め、時々デリダSur Paroleに目を落としながら彼の墓のあるRis-Orangis駅までゆったりとしていた。

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Sur ParoleにはC.Paolettiとの対話を通じて自伝的でないテクストの可能性を疑問視するデリダがいる。僕はいつもその言い方に愛着を感じる。というか、僕はデリダと15歳で出会ったからずっと愛着以外のものを感じたことがない気がする。理論として、僕はデリダから何を学んだかと言われると少し困ってしまう。

脱構築でなく、僕にとってデリダとは、『境域』で示された「生き残ること」を「生きること」と「死ぬこと」とから区別する人生についての思想家であり、「アデュー、エマニュエル」で応答責任について言及する倫理についての思想家であった。脱構築は16歳で『存在論的、郵便的』を読むまで知らなかったと言っていい。いや、正確には当時ことあるごとに読んでいた講談社現代新書の『現代思想を読む辞典』やWikipediaで形ばかりは知っているがどうしてそんな戦略が必要になったのかをまともに理解していなかった。まぁつまり現代思想の冒険者たちシリーズの高橋-デリダ本を全く読まずに青春を過ごした世代(読んで過ごした世代がいると仮に考えてみよう)ってことになる。

そんなことを思いながらRis-Orangisに着き、墓参りは舌打ちから始まった。

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涙より少し重たい雨粒が頭頂を叩いたからだ。駅前の公園に出ないといけなかったのだが案内板をきちんと見ないで手近な出口の階段を降りて行くと、反対側から間違って出てしまった。パリ郊外の落書きと薄汚さがそこには広がっていて僕は安心した。

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気を取り直して駅前の公園の方に歩いて行き、マロニエ通りへと向かう。

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駅からまっすぐ行って右に折れればその通りに着くので全く迷わなかった。曲がり角の雑貨店で僕はリンゴを買った。僕の小腹がすけば役に立つ。ちなみに、食べ物を供えるのはダメだと案内板に買いてあった。

雨に降られながら歩いて行くと公営墓地が見えて来る。

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門が開かれているが周りに守衛がいるというわけでもない。また門にINTERDIT AUX ANIMAUXとあってちょっと笑ってしまった。珍しい看板ではないがデリダの墓にあると思うと少し笑ってしまう。

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どうやら彼の墓地は実に動物供犠的空間らしい。

何度ググってもデリダの墓が具体的に墓地のどこにあるのか教えてくれるサイトが見つからなかったので一つ一つ確かめながら一時間ばかしかけて探した。墓には自分一人きりで世界でただ一人デリダの命日に墓参りに来た東洋人というキャラクターにちょっと感傷的になってもよかったが、雨が次第に勢いを増して行ったのでそれどころではなかった。非常に苦労したしうんざりして知らない墓石の汚れをとるなど意味不明なことまでしてしまった。

というわけでこれからデリダの墓を正しく墓参りしたい方のために門からの行き方をここに記しておく。

まず、門を入ってすぐに見える木立ある大通りを歩く。

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この建物を正面に左を行く。

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こういう配置の空き地まできたら、灰色の車輪の付いたプラスチックボックスの方の角を右に曲がってひだすらまっすぐ行く。

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行き止まりで左を見てこの風景が見えれば正解。またまっすぐ進む。

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角まで来たら左を向く。そのまま墓石を一つ一つ見ながら歩く。

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そしてご対面。

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一時間かけて見付けた時は嬉しさのあまり傘を放り投げてしまった。というわけで以下、様々な角度から墓石の写真を。

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写真では伝わらないがこの時風も強く軽い外出なら億劫になるほどだった。そんな中せっかくなのでしばらく黙祷した。何を考えたかどれくらい立ち尽くしたか覚えていないが何かケリを付けた気持ちになってから墓石を後にした。

ちなみにデリダの墓石はこの墓地の区画だと60区なので参考にしてほしい。

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墓参りはこうして終わった。Ris-Orangisは郊外の街で他に見所があるというわけでもないので僕はそそくさと駅に戻った。パリ行の電車を待ちながらリンゴを食べさほどおいしくないことを確かめてようやくパリに来たんだなと感傷に浸った。

ちなみに墓探しに苦労した跡に気付いたのは通勤時間を外れた人のほとんどいない車内でだった。

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この靴は本来明るい青色なのだがびしょびしょになってしまい、暗い青になってしまった。ただこのまま結局はオデオン付近を延々と歩き続けた。

 

墓参りについて書くことはこれくらいだ。僕は墓に行きたいと思い、行き、帰ってきた。そんな行きて帰りし物語だ。